トロンボのクルシージョ、今年は受けました!
4年ぶりです。
トロンボみたいな学校の先生がいたらええのになぁ~、と、心底思います!
とにかく熱血先生、そして、いかに楽しみながら学ぶかを考えてくれて、最終的には「愛」についての哲学まで教えてくれます。
こんな先生、います?!?!?!
子供のころ、トロンボみたいな先生に出会ってたら、多分グレることなんてないんじゃないかなぁなんて思ってしまうくらい、愛がたっぷりのクラスです。
もちろん、厳しいことも言います、でも、そこには必ず愛があります。
正直、4年前に受けたときは、私にはどうしてもわからない事だらけでした。
すごく楽しかったけど、これのなにが学びに繋がるのかなぁ~、と、正直、わからない部分もあったし。だからあの時は、ただ楽しい、で終わってしまった。
自分に、トロンボの教えを受け取る受け皿がまだできてなかったんやね。
今も、じゃあ受け皿ができたのかと言えばまだまだやけど、4年前よりはそれらしきものができたのかもって感じた。
トロンボは、とてもアーティスティックに教えます。
ご存じの通り、振付は教えません。
黒板に数を書いて理論的に伝える、テキストを読む、もちろんそう言った教え方でもありません。
まるで図工の時間のような感じ、、、だから、こっちが子供のような心でいかないと、入って来ません。
フラメンコは音楽だ。踊り手は、音楽を表現するのだ。
トロンボは、これを私たちに徹底的に伝えようとします。
音楽と一緒になる。
フラメンコは、つまり、コンパスを踊るんだということ。
音楽は生きている。フラメンコも生きている。
それらに寄り添う。
いつも一緒。
立ち向かおうとか、反発しようとか、自分だけやってやろう、とかそれはフラメンコじゃない。
フラメンコは、「一緒」になること。
「一緒」になるには、「愛」があること。
痛みを耐えて、OLE!(感謝)へ変換すること。
「音楽は、味わう、匂いを嗅ぐ。
ジャマーダの3は、その匂い放出して、4,5,6はその嗅ぐ所だ。」
「どんな時でもどんな場所でもぼくはおどっている。
なぜなら、フラメンコは人生だから。
だからぼくは、今日ここに来る道中だって、ただ歩くんじゃない、踊っていたよ。
スタジオだけが踊る場所じゃない。」
「フラメンコは、アンダルシアのものか。
ちがう。
ヘレスのものか。
ちがう。
スペインのものか。
ちがう。
フラメンコは、みんな個々の中にある。」
トロンボ哲学は、フラメンコだけでなく、人生の哲学を教えてもらっているような気がします。